サザン松田弘の結婚した妻や息子や娘を調査!ドラムや宮崎の実家も!

サザンオールスターズ
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サザンオールスターズのドラムス・松田弘さんについて調べました。松田弘さんが結婚した妻や息子、娘など、ドラムのことや宮崎の実家のことまでご紹介します。

 

 

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サザン松田弘の経歴・エピソード

ドラムとの出会い

松田弘さんは、宮崎県出身で、少年時代は野球少年だったようです。鼓笛隊にも入り、スネアドラムをしたことがきっかけでドラムにのめり込みます。当時、歌謡曲やグループ・サウンズが好きで、実家の両親に毎日「ドラムが欲しい」とおねだりします。

しかし、父親が結構厳しく、ドラムは買って貰えなかったので、松田さんはドラムセットの絵を描いて実家の壁に貼っていました。するとある日、父親が「ドラム買ってきたぞー」と帰宅。しかし持って帰ってきたのはプラモデルのドラムだったとか。

そして、中学2年生の時に、父親の知り合いからドラムセットを1万円で譲って貰いゲット!それから10年後、そのドラムセットを2万円で売ったそうです。

バンドとの出会い

中学生の時、同じ中学にいた、サザン脱退メンバーの大森隆志さんとバンドを組んでいました。宮崎一の進学校だった高校に入学し、同じ高校に通う大森さんのバンド「フィールド・バック」のドラムとして参加します。

その後、松田さんは高校を中退し地元のディスコやキャバレーで、ドラムの腕を上げていきます。

サザンとの出会い

大森さんは高校を卒業し、桑田佳祐さんや原由子さんたちと出会った青山学園大学に通うため上京します。

この頃、松田さんは地元に残りますが、1977年にプロを目指して上京し、大森さんに紹介され、サザンオールスターズのドラムとして加入し、ヤマハ主催の音楽コンテストに参加し、1978年にメジャーデビューとなりました。

サザン以外の活動

1985年に原由子さんが産休となり、サザンオールスターズの活動休止で桑田佳祐さんがKUWATA BAND結成。この時、松田さんも共にKUWATA BANDで活躍しました。KUWATA BANDは、化粧品のCMタイアップソング「BAN BAN BAN」がヒットとなりました。

1995年には福山雅治さんの初のアリーナツアーにドラムで参加しています。また、1996年から放送されていたKinKi Kidsと吉田拓郎さんの音楽番組「LOVE LOVE あいしてる」(堂本兄弟の前身番組)でバックバンド”LOVE LOVE ALL STARS”のドラムとしても活躍しました。

ちなみに”LOVE LOVE ALL STARS”のメンバーには、武部聡志、吉田建、高中正義、樋口宗孝(LOUDNESS)、松本玲二(TUBE)、野村義男、中西圭三など有名ミュージシャンが名を連ねました。

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結婚した妻や息子や娘

松田さんは、サザンオールスターズの1982年の大ヒット曲「チャコの海岸物語」の収録曲「翔(SHOW) 〜鼓動のプレゼント」でメインボーカルを務めていますが、実はこの時、妻のお腹に子供がいて、そのお腹の子に歌った曲でした。

生まれた息子の名前は、そのまま””と名付けられ、2005年のオリジナル・アルバム「キラーストリート」収録曲の「愛と死の輪舞」でドラムを叩いています。2011年には結婚し、過去にはドラマーとして、ロック・オペラなどにも出演していました。

松田さんの奥様の名前は、和子さんと言い、松田さんが10代の時に出会った女性だそうです。2009年頃から中目黒の閑静な住宅街の路地裏にある「ビーシー イーストカフェ」というカフェを経営しています。地下にはレコーディングスタジオがあるそうです。

娘さんは、1984年に生まれていて、3歳からモダンバレエを始め、その後ヒップホップやジャズダンスをし、1999年にはダンスチームを組んで活動をしていました。2005年にはシンガーとしても活動していました。

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まとめ

サザンオールスターズのドラム・松田弘さんについて調べました。松田弘さんの経歴やエピソード、家族についてなどご紹介しました。

松田弘さんは、ドラム以外にもハイトーンボイスのコーラスや、1980年のアルバム「タイニイ・バブルス」の収録曲「松田の子守歌」などでリードボーカルを務めています。

 

 

 

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